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【事件事故】 三毛別羆事件7-最期
1出現 2襲撃 3再襲 4惨劇 5戦慄 6討伐 7最期


最期

12月13日。

獲物を奪還できなかったヒグマは、無人になった家屋を荒らして回った。
保存されていた食料を食い漁り、家財を屋外まで引っ張り出して散らかした。
とりわけ女が使っていた枕や、女が湯たんぽがわりにしていた石などに牙を折るほどかじりついたりと異様な執着を見せていた。
兵吉の話でも、かつて熊が飯場の女性を食い殺していたという。

  「熊は最初に食べたものを生涯食す」

討伐隊はこの言い伝えをひしひしと実感した。
素手で野生と相対するには人間はあまりにも弱く、身を守る術も逃げる術もない。
肉も柔らかく、ひと所に住み、獲るに容易い人間の味を覚えたヒグマにとって、それはご馳走でしかなかった。


この夜、三毛別川の対岸で黒い影が動くのを警戒中の討伐隊が発見。

「人か熊か!」

三度呼びかけて返事がなかったため、討伐隊は10丁の銃で一斉に撃ちかけた。
が、影は雪原へと消えた。
この時は夜も更けていたため追跡は断念することになった。


翌12月14日未明。

対岸の雪の上に巨大熊の足跡と血痕が見つかった。
その報告に十数人の鉄砲撃ちや討伐隊、犬などが熊の逃走経路を追った。
その先陣には兵吉の姿があった。

いち早く山頂に到達した兵吉が、前方200メートルのところに巨大ヒグマを発見。
やはり怪我で足が鈍っていたのだ。
兵吉は20メートルまで近寄り、木の影に身を隠した。
手負いの熊は木につかまって山すその討伐隊に気を取られていたため兵吉には気づいていない。

好機到来。

兵吉の銃弾はヒグマの心臓近くを撃ち抜いた。
討伐隊から歓声があがる。
が、熊はむっくりと立ち上がると、兵吉を睨んで猛然と雄叫びをあげた。
後衛の討伐隊が鉄砲を構える。

が、それより早く兵吉の二弾目がヒグマの頭を貫いた。
一発ずつの弾込め銃では信じられない早業。
兵吉は二発目の弾丸を指に挟んでいたのだ。


どう、と巨体が倒れた。
悪魔の最期だった。




ヒグマはオスで推定7~8歳。
重さ340キログラム、身長2.7メートルにも及ぶ巨体には、胸から背中にかけて「袈裟懸け」と呼ばれる白斑があった。
また、体に比べて頭部が異様に大きかった。

ヒグマの遺骸は三毛別の青年会館へ運ばれた。
雨竜郡から来たアイヌの夫婦はヒグマを見て、数日前に雨竜で女を食い殺したヤツだと言った。
その証拠に腹から赤い肌着の切れ端が出てくる、と。
あるマタギは、これが旭川で女を食い殺したヒグマなら肉色の脚絆が出てくると言った。
山本兵吉は、このヒグマが天塩で飯場の女を食い殺した奴に違いないと言った。

解剖され胃を開くと、
赤い布、
肉色の脚絆、
そして髪の毛が絡まった葡萄色の脚絆がそれぞれ出てきた。
葡萄色の脚絆はマユのものだった。


解剖が済むとヒグマの肉は供養のために煮て食べられた。
毛皮や肝は売られ、その金は犠牲者遺族に渡された。


ヒグマに馬乗りになられ、頭に大怪我を負いながらも子供を連れて逃げたヤヨは、順調に回復した。
ヤヨに背負われたまま噛み付かれた梅吉は、後遺症に苦しみ2年8ヶ月後に死亡した。
オドも回復したが、後に川に転落して死亡。ただしヒグマによる怪我が影響したかは不明。

事件は解決したが、村人の心には恐怖の傷跡が大きく残った。
村からはひとり、またひとりと人が離れていき、彼らが開拓した土地は、下流に住む辻家を除いて最終的には無人の地となったという。




その後、ヒグマが倒されたすぐ近くに架かる橋は「射止橋(うちどめばし)」と呼ばれるようになった。
その近くに住んで討伐隊に自宅を提供した農家の大川家には当時当時7歳の長男の春義がいた。
彼は犠牲者たちの無念を晴らすためその一人につき10頭のヒグマに復讐すると誓い、長い年月をかけて102頭のヒグマを射止め、引退してからは熊害慰霊碑を建立した。
その息子の高義も同じくハンターとなり、父も追っていた体重500キログラムという超巨大ヒグマ「北海太郎」を8年がかり仕留めている。


そして現在。
射止橋の先には、当時の情景が再現された「三毛別羆事件副現地」があり、そこに至る国道は「ベアロード」と名付けられた。
路傍には可愛らしい熊の絵の看板がそこかしこに立てられ、事件を知って訪れる者たちに複雑な感情を抱かせている。




大自然を切り開く開拓民を襲った惨劇。
生き証人による凄惨な目撃談はどんなつくり話よりも強烈です。
普段動物園で見て「可愛い」と思っている猛獣たちも、本来はこういう生き物。
自然に対する畏れを忘れないように、いつか自分が「獲物」にされてしまわないように、人間の唯一の武器である「知恵」で、危うきに近寄らず済みたいものです。

1出現 2襲撃 3再襲 4惨劇 5戦慄 6討伐 7最期

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by kero-tama | 2010-10-04 00:36
【事件事故】 三毛別羆事件6-討伐
1出現 2襲撃 3再襲 4惨劇 5戦慄 6討伐 7最期


討伐

事件現場の北に、名のある鉄砲撃ちがいた。

  名を 山本兵吉 という。

齢58歳。
銃は飛んでいるエゾライチョウを打ち落ほどの腕前、またサバサキという小刀で熊を刺し殺したこともあり「宗谷のサバサキの兄い」と呼ばれているほどだった。
普段は軍帽をかぶり、日露戦争の戦利品である銃をよく自慢していたが、酒代欲しさに銃を質に入れていた彼は事件を聞きつけると「俺がいれば!」とすぐさま銃を確保し、三毛別へ駆けつけた。


12月12日。

事件の報せを受けた北海道庁は討伐隊の組織を指示。
近隣の青年団や消防団、志願者やアイヌの者にも協力を仰いだ。
彼らは銃や刃物、中には日本刀を携えて三毛別に集まり、それは三日間で延べ600人鉄砲60丁にも及んだ。
しかし山野に紛れるヒグマを、討伐隊はなかなか発見できない。
討伐隊本部は討議した。


  ヒグマには「獲物」を取り戻そうとする習性がある。
  これを利用してヒグマをおびき寄せてはどうか。



「獲物」が意味するところに、本部内では意見が割れた。
しかし隊長は、罵倒される覚悟で遺族と村人にそれを提案した。

誰一人、反対しなかった。

それほどまでに事態は切迫していた。
かくして、被害者の遺体を餌にヒグマをおびき寄せるという前代未聞の作戦がただちに実行された。

居間に置かれた死臭放つ遺体。
それには引きずり出された胎児も含まれていた。
補強された天井裏の梁には銃の扱いに慣れた者たちが決死隊として配備された。
部屋の中央には達人・山本兵吉が座し、その左右を1人ずつが固める。
彼らは2日半、この死臭が充満する家の中で食事や用足しを済ませたという。

やがて死臭にひかれ、ヒグマが森から現れた。
固唾を飲んで機会を伺う。
しかしヒグマは警戒して中へ入らず、家の周りを歩きまわると森へと引き返してしまった。
その後もヒグマは何度か訪れたが警戒して踏み込まず、討伐の機会は訪れなかった。


【事件事故】 三毛別羆事件(その7)「最期」 へつづく。

1出現 2襲撃 3再襲 4惨劇 5戦慄 6討伐 7最期

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by kero-tama | 2010-10-03 10:14
【事件事故】 三毛別羆事件5-戦慄
1出現 2襲撃 3再襲 4惨劇 5戦慄 6討伐 7最期


戦慄

一方、太田家からは葬儀の参列者と合流した一行が川下へと向かっていた。
ヒグマの気配が濃い。
誰もがそう感じ始めた頃、川下の方角から激しい物音と絶叫が上がった。
急ぐ一行の前に重傷のヤヨがたどり着く。
一行は明景家で何が起こったかを察した。

途中で重傷を負ったオドを保護し、男たちは明景家を取り囲んだ。
中から助けを呼んで泣き叫ぶ女子供の声、絶叫、うめき声、そして肉や骨を咀嚼するおぞましい音が聞こえてきた。
悲痛な様相に、それでも誰一人踏み込むことができない。

「もう誰も助からない。家に火をかけろ」
「小屋に向かって一斉射撃しろ」

などの意見も出たが、子供らの生存に一縷の望みを託すヤヨがそれを必死に止めた。


やがて女子供の声はしなくなり、聞こえてくるのは熊の足音だけになった。


男たちは入り口を鉄砲で取り囲み、一人が空に向けて発砲。
ヒグマは猛然と飛び出して襲いかかってきた。
が、鉄砲は不発。
ヒグマは向きを変え、軒下を歩き始めた。
そのまま発砲すると生存者に当たる可能性があった。
一同が撃ちあぐねている間に、ヒグマは姿を消してしまった。

松明(たいまつ)を手に家に入る。
その目に飛び込んできたのは

天井まで濡れた血の海、
上半身を食われたタケと、無残に食いちぎられたふたりの子供、
そしてタケの腹から引きずり出された血まみれの胎児だった。


地獄の様相に思わず吐く者もいれば、泣き出す者、外へ飛び出す者もいた。

胎児はまだ生きて動いていたが、その後間もなく死亡した。
ムシロの下から巌が見つかるが、肩と胸に噛まれた傷、そして左大腿部から臀部にかけて食われ、骨だけになっていた。
巌は惨死した母・タケのことを知らず、うわ言で母に助けを求めながら間もなく死亡した。

この二日間で7人が死亡、3人が重傷を負った。


死亡者

阿部マユ(34)
 太田家家主の妻。
 ヒグマに殺され、保存食として森に埋められたところを発見される。
 遺体は頭蓋の一部と片膝から下の足しか残らなかった。

蓮見幹雄 (6)
 事件当時、太田家に預けられていた子供。
 喉をかきえぐられ、頭をかじられて死亡。

明景金蔵 (3)
 明景家三男。
 一撃で撲殺されて死亡。

斉藤春義 (3)
 斉藤家四男。
 一撃で撲殺され死亡。

斉藤巌  (6)
 斉藤家三男。
 肩、胸に噛み付かれ、大腿部から臀部を食われて骨だけになる。
 救出されるが20分後に死亡。

斉藤タケ(34)
 前日に助けを呼びに行った斉藤五郎の妻。
 上半身を食われ、腹から胎児を引きずりだされ死亡。

胎児
 斉藤タケの胎児。
 ヒグマに腹から引きずり出される。
 救出されたときはまだ生きていたが、1時間後死亡。


重傷者

明景ヤヨ(34)
 明景安太郎の妻。
 ヒグマに頭をかじられ30針を縫う重傷。

明景梅吉 (1)
 明景家四男。
 母ヤヨに背負われたまま足腰に噛み付かれる。

長松要吉(59)
 通称オド。太田家に寄宿していた。
 太田家で起きた襲撃事件の第一発見者。
 明景家での襲撃事件で腰のあたりを噛まれる。
 絶叫に気がそれたヒグマから逃走して保護される。


翌12月11日

村人に頼まれて太田家の事件を報告しに役所と警察へ向かった斉藤石五郎は、この日昼近くになって三毛別にたどり着いた。

そこで妻と子たちの受難を知らされた彼は呆然と雪の上に倒れ伏し、ただ慟哭するしかなかった。


【事件事故】 三毛別羆事件(その6)「討伐」 へつづく。


1出現 2襲撃 3再襲 4惨劇 5戦慄 6討伐 7最期

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by kero-tama | 2010-10-01 20:10
【事件事故】三毛別羆事件4-惨劇
1出現 2襲撃 3再襲 4惨劇 5戦慄 6討伐 7最期


惨劇

太田家より川下へ900メートルほど離れた明景(みよけ)家は比較的安全と思われていたため、女子供総勢10人の避難場所になっていたが、太田家の騒ぎに男たちが出払い、今まさにそこは無防備となっていた。

  火を焚けばヒグマは近寄らない。

10人はその言葉を信じ、周囲に火を焚き震えて夜明けを待った。
それが誤りだとも知らずに。

太田家からヒグマが消えて20分後、ヒグマは明景家の窓を破って突如現れた。
囲炉裏に掛けられた大鍋がひっくり返り、火が消える。
混乱でランプの灯りも消えた暗闇の中、明景安太郎の妻・ヤヨ(34)は外へ飛び出そうとしたが、恐怖にすがりついてきた次男・勇次郎(8)に足を取られてしまった。
獲物を逃がすまいと、ヒグマはヤヨに背負われた四男・梅吉(1)の足腰ににかじりつく。
為す術も無くヒグマの懐に引きずり込まれる3人。
ヒグマはヤヨに馬乗りになり、生暖かい口を開いてその頭部にかじりついた。

唯一男手として明景家に残っていたオドは、その光景に仰天して逃走。
それに気を取られたヒグマが思わずオドを追ったため、その隙を見てヤヨは子供たちを連れて脱出した。
右腰の肉をえぐられたオドの大声に思わず手を離したヒグマは、居間に残った7人の女子供に目を向けた。
明景家の三男・金蔵(3)と斉藤家の四男・春義(3)を一撃で撲殺。
更にヒグマは斉藤家三男・巌(6)に噛みついた。

石五郎の妻で身重の斉藤タケ(34)はこの惨劇を目の当たりにして思わず隠れていたムシロから顔を出してしまった。
それを見逃すはずもなく、ヒグマは彼女を居間へと引きずり出す。

「喉を食って殺してくれ!腹を破らんでくれ!」

腹の子を案じるあまりタケはヒグマに何度も懇願した。
が、熊は容赦なく生きたまま彼女の肉を食いちぎり始めた。
気を失った彼女の腹から胎児を引きずり出すと、ヒグマはタケを上半身から貪りはじめた。
更にそれでも飽きたらず、撲殺した2人の子供にも喰らいついた。

無防備に失神していた長女・ヒサノ(6)はそれが幸いしてか奇跡的に無傷で助かった。
明景家の長男・力蔵(10)は物影に隠れて難を逃れ、皮肉にもこの凄惨な殺戮の一部始終を目撃した生き証人となったのだった。


【事件事故】 三毛別羆事件(その 5)「戦慄」 へつづく。

1出現 2襲撃 3再襲 4惨劇 5戦慄 6討伐 7最期

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by kero-tama | 2010-09-29 23:34
【事件事故】三毛別羆事件3-再襲
1出現 2襲撃 3再襲 4惨劇 5戦慄 6討伐 7最期


再襲

その夜。
太田家では通夜が営まれた。
しかしヒグマを恐れ、参列した村人はたった9名だった。

参列者に酒が振舞われた夜の8時半頃。
大音響と共に居間の壁が崩され、巨大な影が乱入してきた。
僅かな遺骸が収められた棺桶がひっくり返され中身が撒き散らされる。

  ヒグマは獲物に執着する。
  奪われた「獲物」を、ヤツは奪い返しに来る。

村人の懸念どおりになった。
ランプの灯りが消え、暗闇の中恐怖にかられた村人たちは混乱の中逃げ惑った。
しかし混乱の中、外に逃れた男が果敢に石油缶を打ち鳴らしてヒグマを威嚇した。
その音に我に返った男が銃を撃つ。

騒ぎは300メートル離れた隣家にまで聞こえ、すぐさま50人ほどの男たちが駆けつけたが、すでにヒグマは姿を消した後だった。


犠牲者がなかったことに安堵する一同。
しかし、ヒグマは逃げたわけではなかったのだ…。


【事件事故】 三毛別羆事件(その4)「惨劇」 へつづく。


1出現 2襲撃 3再襲 4惨劇 5戦慄 6討伐 7最期

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by kero-tama | 2010-09-29 02:24
【事件事故】三毛別羆事件2-襲撃
1出現 2襲撃 3再襲 4惨劇 5戦慄 6討伐 7最期


襲撃

大正4年(1915年)

この頃の北海道は函館に鉄道が開通、11年後には千歳に飛行場も出来るという近代化の波が押し寄せていた。
その一方で、移民奨励金とわずかな農具を頼りに北海道へ入植した人々がいた。
ほとんどは貧しい農民やわけありの人たちで、彼らは近代化してゆく都市部とはかけ離れた生活をし、北海道の大自然を相手にほとんど人力で土地を切り開いていった。
極寒の気候、人間を拒む自然、そして野生動物の脅威に晒されながらの厳しい生活だった。


12月9日

わずか15戸の開拓村は、収穫の出荷でどこも男手が出払っていた。
三毛別川上流の太田家に寄宿していた長松要吉(通称オド 59)と家主の三郎(42)は伐採などの仕事に出かけ、三郎の内縁の妻・阿部マユ(34)と当家に預けられていた蓮見幹雄(6)の2人が残って穀物の選別作業をしていた。

昼、飯を食べに戻ったオドは、囲炉裏端に座り込む幹雄を覗き込んで驚愕する。
喉元をえぐられ、右側頭部には親指大の穴を穿たれて幹雄は絶命していた。
おののいたオドは幹雄と一緒にいたはずのマユを呼んだが返事はなく、暗い部屋の奥から異様な臭気が漂うだけだった。

仕事場に戻ってきたオドに報せを聞いた男たちは太田家へ駆けつけた。
トウモロコシを干してあった窓は破られ、そこから囲炉裏まで続くヒグマの足跡が見つかった。
居間にはヒグマの足跡と未だくすぶる薪、柄が折れた血染めのマサカリが。
そしてヒグマの足跡は鮮血に染まった部屋の隅に向かい、そこから足跡と血痕が土間を通って窓へ続いた。
窓枠には人間の頭髪が絡み付いており、窓の外から森へは何かを引きずった跡と血の筋が残っていた。

村人は予想した。
ヒグマは窓に吊るされたトウモロコシを食べようとしたが、それに気づいて驚いたマユと幹雄に逆上し、窓を破って向かっていった。
幹雄は喉をかきえぐられ、親指大の穴があくほどの牙で頭を齧られ絶命。
燃える薪やマサカリで抵抗しながら逃げたマユは部屋の隅に追い詰められ、ヒグマの攻撃を受けてしまった。
ヒグマはマユの体をひきずり、再び窓から外へと出て行ったのだろう、と。

男たちは集まって話し合った結果、斉藤石五郎(42)に役場と警察、そして幹雄の実家である蓮見家へ直接出向いて連絡を取るよう頼んだ。
石五郎は明景家に家族を避難させることになり、所用で不在となる明景家当主に代わって男手としてオドも一緒に泊まることになった。


翌12月10日

ヒグマの足跡を追って森に入った30人の捜索隊は、150メートルほどで巨大なヒグマに遭遇。
5人のマタギ(猟師)が一斉に発砲したが、手入れが行き届いていなかったためことごとく不発、発砲できたのは1丁だけだった。
しかし運良くヒグマが逃走したため被害はなかった。
彼らが周囲を捜索すると、血に染まった雪の下から黒い足袋(たび)を履きぶどう色の脚絆(きゃはん)がからまった膝から下の足と頭蓋の一部だけとなったマユの遺骸が見つかった。
ヒグマは一晩かけて彼女を貪り続け、残りを雪の下に埋めて保存食としたのだ。
一行は遺体を回収し、開拓村へと引き上げた。


「ヒグマはまた来る」


熊は執念深く、奪われたものを取り返しにくる。
熊の習性を熟知した村人が、そう言った。

そしてその予想どおり、惨劇は再び起こったのだった…。


【事件事故】 三毛別羆事件(その3)「再襲」 へつづく。


1出現 2襲撃 3再襲 4惨劇 5戦慄 6討伐 7最期

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by kero-tama | 2010-09-23 08:48
【事件事故】三毛別羆事件1-出現
1出現 2襲撃 3再襲 4惨劇 5戦慄 6討伐 7最期


大正4年(1915年)12月。
北海道留萌苫前村三毛別六線沢(現・苫前町古丹別三渓)で日本史上最大最悪の熊害(ゆうがい)事件が発生。
「袈裟懸け」と呼ばれる巨大なヒグマが数度にわたって民家を襲い、当時の開拓民7名が死亡、3名の重傷者を出した。
事件は「三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)」と称され、惨劇の様子は生存者や討伐隊によって克明に伝えられている。


出現

この年の11月初旬。
開拓村の池田家にヒグマが出現。
馬が驚いて暴れたため、トウモロコシに被害を与えただけで熊は逃亡したが、主人の富蔵はぬかるみに残った足跡の大きさに懸念を抱いた。

11月20日。
ヒグマは再び現れた。
家主は3人のマタギ(猟師)を雇い、待ち伏せることにした。

11月30日。
三度現れたヒグマに発砲するも、仕留めるには至らず逃亡される。
翌朝、血痕を確認。
池田家次男・亀次郎を加えた4人で追跡するが、地吹雪(※2)により断念した。

それから9日後、惨劇が起こる。

※2:強風によって積雪が舞い上がり視界が損なわれる状態。


ヒグマ

生態
ネコ目(食肉目)クマ科に属する雑食性の哺乳類。
日本最大の陸棲哺乳類で、日本では北海道にのみ生息。
オスの成獣で体長2.5~3.0メートル、体重250~500キログラム。
がっしりとした頑丈な体格を誇り、頭骨が大きく肩も盛り上がっている。
ヒグマは栄養状態によって生じる個体差が非常に顕著で、内陸のヒグマが300キログラムを超える事はあまり多くないが、サケ・マス類を豊富に捕食できる地域のヒグマは巨大になる。
地上最強の肉食獣と称されるシロクマとは近縁種(混血が可能)にあたる。

知性・習性
ヒグマは知力に優れ、最初に民家の飼い犬を襲い、その後住民を襲うこともあった。
また執着心が強く、何度も獲物の場所に戻る習性がある。
土葬された人間の遺体を掘り起こして味を覚えたヒグマは生きた人間を襲うようになるため、ヒグマの生息地域で土葬は厳禁とされる。
熊避けに鈴など音を鳴らして山に入るという風習があるが、人間の味を覚えた熊には餌の場所を知らせるようなもので逆効果になるという。
当然死んだふりも、木に登るのも意味がなく、また逃げるものを追う習性が強い。
熊は山道でも時速60キロメートルで走れるため、背中を向けて逃げ出すのは危険とされる。
また子熊を見かけたら近くに凶暴な母熊がいると考えなければならない。
熊に遭遇した時の対応は諸説あるが、熊の生息地域に近づかないのが1番なのは言うまでもない。


【事件事故】 三毛別羆事件(その2)「襲撃」 へつづく。


1出現 2襲撃 3再襲 4惨劇 5戦慄 6討伐 7最期

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by kero-tama | 2010-09-21 12:15
【自然の脅威】目印(動画)
人は何故山に登るのか。
必要があっての山越えではなく、山に登ること自体を目的とする人々。
ほとんどの山は生命に恵みをもたらす豊穣の土地だが、無用心に入り込む者には容赦無い。
低い山でさえ毎年遭難者が出るというのに、それが標高8000メートルともなれば。
山は泰然自若としてそこに存在するだけで、襲い来る台風や地震などとは違う。
近寄らなければ危険にさらされることはないというのに、登山家は自ら「山という自然災害」に近づこうとする。
征服感、達成感、栄光、名声、限界への挑戦、極限状態から生還する快感…
「そこに山があるから」と答えた登山家もいた。
登山家の気持ちは、山に魅入られた者にしかわからないのだろう。

標高8000メートル級の山々は、世界中の登山家たちを惹きつけてやまないが、同時に多くの登山家たちを死に至らしめてきた。
ケガや病気で動けなることは死に直結し、たとえ一緒に仲間がいようと、どうにもできない場合が多々ある。
身を切られるような思いで仲間を見捨てなければ、登山隊が全滅する事態もあり得るのだ。
遺体は運がよければ他の登山家たちによって家族のもとへ届けられるが、酸素も薄く荷物の重量も極限まで減らさなければならない山では回収することが出来ないまま置き去られる遺体も、実は多い。
極寒と強風、極度の乾燥の中、遺体は腐ることなくミイラ化し、やがて風化が進んで白骨化。
遺体は何十年もそこに留まり続け、場合によっては登頂の「目印」になっている。


ネパールのヒマラヤ山脈に属する「マナスル」は世界第8位の山であり、1956年5月9日に今西壽雄・ギャルツェン・ノルブら日本隊によって初登頂されている。
また、1974年5月4日に日本の女子隊が挑み、女子による8000メートル峰の世界初登頂を達成している。
最近では2008年10月12日に単独登山家の栗城史多氏が単独無酸素で登頂し、スキー滑降に成功したという、日本には馴染みのある山だ。

この山の7500メートル地点には「ジャパニーズガール」と呼ばれる「目印」がある。
前述の女子隊は13名を分けて挑んだのだが、松本直子さん、森美枝子さん、内田昌子さんの3名とシェルパが登頂を成し遂げた翌日、登頂を目指した同じ隊の鈴木貞子さんが7500メートル付近で猛吹雪に遭い、消息が途絶える事故が起こっていた。
「ジャパニーズガール」はその時の遺体だと言われているが、真相は不明らしい。
正体が誰であろうと、その遺体は黒い岩肌に白い雪、青暗い空の三色しかない極限地帯で登山家を頂へと導く「目印」として今もマナスルに在り続ける。

栗城氏が単独無酸素で登頂したとき、輝く氷の上に置かれたザックを発見した。
よく見ると雪の中から手のようなものが突き出している。
近づいてみるとそれは白骨化した遺体で、それがシェルパに聞かされていた「ジャパニーズガール」だったという。

「もうここから先は、大きな代償を払わないとこの先にはいけない。
 お前にその覚悟はあるのか」

と言われているような気がした、と栗城氏は自身のブログで語っている。

単独登山家 栗城史多 ブログ


また栗城氏は、2009年5月、ダウラギリ無酸素単独登頂の際に自身で動画を撮影、インターネットで配信した。
動画にはダウラギリ山頂の「目印」となっている登山家の遺体が、岩の斜面に仰向けに倒れているところが撮影されている。

ニコニコ動画:栗城史多 ダウラギリ アタックステージ 本人撮影映像


自ら望んで険しい山を登り、そして事故に遭う登山家たちを非難する人たちは少なくない。
準備不足や判断ミスなど、非難がやむを得ない場合は確かにあると思うし、死してなお山から帰れない登山家たちの遺族の心情も如何ばかりか。
多大な苦労と費用をかけて山頂に登っても、そこに何があるわけでもないし、もしかしたら、いつか自分も「目印」になるのかもしれない。
だがそれでも、登山家は山に登るのだ。


keroは登山のことは詳しくなく、やりたいとも思いませんが、誰も彼らの「覚悟」を笑うことはできないのだと厳粛な気持ちになりました。
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by kero-tama | 2010-08-18 13:11
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(除霊動画付き)


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