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【メディア】スピード違反CM
注意:この動画には衝撃的な内容が含まれます。

■YouTube:DRIVERS - Please Watch


■ニコニコ動画:交通事故の恐ろしさと悲しさ



スピードの出しすぎ、よそ見、信号無視、無理な追い越し、ええかっこしぃ、とドライバー側の過失もさることながら、被害者側も飛び出しやシートベルトやチャイルドシートの着用義務を怠ったりしています。

1990年には年間1万1227人の死者を出した交通事故。
シートベルトの着用義務や違反の厳罰化、自動車の安全機能向上などで近年は減少傾向にありますが、それでも去年の交通事故死者数は4683人にものぼります。

80km/h以上の速度による交通事故の死亡率は、80km/h以下の速度によるものの約50倍にもなるそうです。
仮に被害者にも落ち度があってたとしても、スピードが低ければ助かった命かもしれません。


 Speeding. No one thinks big of you.
 スピード違反なんかしたって、誰もキミを凄いとは思っちゃいない。



エヴァネッセンス「マイ・イモータル」のやさしい歌声にのせて繰り広げられる映像は、自動車がドライバーの過失で一瞬にして凶器になる恐ろしさと、理不尽に家族や恋人・友人たちを失ったやり場のない悲しみを感じることができます。

  この傷はもう癒えないでしょう
  痛みはあまりに深く
  時間ではとても消し去れない

  あなたはもういないのだと懸命に自分に言い聞かせる
  あなたはまだ私と一緒にいるのに
  私はずっとひとりぼっち

歌詞は翻訳サイトでは超訳になるのでkeroの意訳。
大切な人を失って時間が止まってしまった人の歌でしょうか。
いつまでも心から離れない面影に、歩きだせず孤独に苛まれる。
事故は被害者も加害者も不幸にします。

このCMを見ても、「事故を起こすなんて運が悪い」「自分はこんなヘマはしない」と思う人はいるのでしょうか。
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by kero-tama | 2011-11-07 05:02
【事件事故】良栄丸遭難事件4-航海日誌
1.発覚  2.不思議  3.恐怖(動画)  4.航海日誌

航海日誌概要

1926年(大正15年)

12月 5日、神奈川県の三崎漁港を出港。
銚子の沖合いを目指すつもりが天候が悪く銚子港を目指す。

12月 6日、銚子港へ一時入港。

12月 7日、銚子港を出港。以後銚子沖で漁に励む。

12月12日、突如機関クランクシャフトが折れ、航行不能に。
そこに西からの強い季節風が追い討ちをかけ、船は沖へ沖へと流される。

この時代の漁船に無線が付いていなのは一般的。
また当時はエンジンの出力が弱かったため補助として帆が付いていた。

12月15、16日の2日の間に「紀州船に似た20トンくらいの船」「東洋汽船会社の船」「同業の肥州舟」の三隻の船を発見。
大漁旗を揚げ、火を焚いて大騒ぎしたが、しかしいずれも良栄丸に気づくことなく過ぎ去った。

救助の可能性は低かった。
しかし幸いにも船には食料がある。
船長は漂流を決意、船員もそれに賛同。
食料は4ヶ月もたせるため干物にされた。

日本へ戻ろうにも、強い西風は連日船を東へと押し流す。
これだけ走って島影ひとつ発見できない。

12月20日の記述

二十日朝八時に至り風北にしておだやかなり
西風毎日強い故思ひ切つてアメリカへ乗出といふ太い事を船長が相談を致した所、まだ落合つかず兎に角アンカ三丁上る事にした
十八日午前一時より廿日午前六時まで五十四時間流した

責任のない人はどうでもよいが嫁内小供のある人は実にお気の毒である
又国元の方でも一方ならぬ大さわぎある
何にしても約束であるとあきらめ居てる

親のばちが子にくる
昔々古人の伝へこの十二名は誠に因念の悪いものである
万一助かつたればそれこそ今度は皆大難を通越し運勢朝の昇る如し

サヨナラ


どんなに日本へ向かおうとも、西風は強く押し戻される。
船長は、ならば思い切ってアメリカへ向かおうと決断。
アメリカまで4ヶ月はかかるし、それが困難なこともわかっている。
しかしこのまま救助を待ってただ漂流するよりは、と船員もそれに従った。

後に、気象学者・藤原咲平はこう語る。
「漁船にて米国に達せんとするは、コロンブスのアメリカ大陸発見よりも困難なりと心得うべし」

12月26日、良栄丸はついに東へ、アメリカへと舵を取った。
この日から元号が「大正」から「昭和」になるが、船員たちが知る由は無かった。

12月27日、沖の大海へ出ると波も風も何も無い。
もう外国と日本の中ほどにまで流されたのではないかと不安が募る。

1927年(昭和2年)1月1日の記述

あけましてお目出たう
年玉の御寿を幾千代かけて御祝納め候なり
大正十六年一月元旦計

流れ二八○時、ヴエス一六六時
元日の事とて赤めしにコーヤのさいで目でたい祝をすまし色色思ひ思ひに話して夜にいつた
午後七時風が静かになり流した


年が明けてからも、船員たちは波風を頼りない帆で乗り切ろうと奮闘。
時折魚を釣り上げてみなで大喜びし、ご馳走とした。

1月、2月の日誌は特筆すべきことがあまりなかったためか、ほとんどが日付と方角、航海距離の短い記述が続く。

1月27日、外国の船を発見し、火で信号を送るが気づかれなかった。

2月17日、5貫、6貫(1貫=3.75キロ)の魚を三匹釣り上げ、その喜びに皆笑い、たとえることもできないほど大騒ぎをする。
日誌に書き綴られた、船員たちの最後の明るさだった。

この先から航海日誌は日付と方角程度しか書かれなくなる。

3月5日、ついに糧食が尽きる。
この日、機関長・細井伝次郎が病気のため死亡。

3月6日、残った乗組員連名で船板に遺書を書き残す。
板に書いたのは、船が沈んでも遺書だけはいつか陸に漂着して国へ帰れることを願ったためと思われる。
また、各自記名した封筒に入れた髪と爪も保管された。

遺書

和歌山県西牟婁郡和深村 船主 細井音松(良栄丸)

乗組連名  
船長  三鬼 登喜造
機関長 細井 伝次郎
友取  桑田 藤吉
    寺田 初造
    直江 常太郎
    横田 良之助
    井澤 捨次
    松本 源之助
    辻内 良治
    三谷 寅吉
    詰光 勇吉
    上平 由四郎

右十二名 大正十五年十二月五日
神奈川三崎出発営業中 機関クランク部破レ
食料白米壱石六斗ニテ今日迄命ヲ保チ
汽船出合ズ 何ノ勇気モ無ク ココニ死ヲ決ス

              大正十六年新三月六日

これ以後、日誌には数日おきに船員たちの死が綴られた。
時に魚やサメを釣り、鳥を捕まえて食するが、栄養の偏り、失調によって船員は次々と倒れた。
最初の三名は水葬されたようだが(日誌に水葬の記述はない)、それ以後、死者は船内に放置されたままとなる。

4月19日に上平由四郎が死亡してからは、船には船長・三鬼登喜造と松本源之助のみとなった。

それからも、2人は重度の脚気(カッケ)※に苦しみながら、「命に代えられぬ」と必死に船を修理し、荒れる海に船を操った。
※脚気:ビタミンB1の欠乏によって心不全と抹消神経障害をきたす疾患。下肢の痺れがおきるため「脚気」の名で呼ばれる。

船長・三鬼登喜造が妻子に宛てた手紙

カツエ トッタン(父さん) カヘレナクナリ ナサケナイ
ハハノタシニナッテヤッテクダサレ
トッタン

キクオ オオキクナリテモ リョウシハ デキアセン(漁師にはなるな)

アナタモ コレカラハ クロウデス(略)
アト十二、三ネンハイキタカッタ
ワタシノ スキナノハ ソウメンニモチデシタ
ミキトキゾウノツマ オツネサマ


5月 6日、船長が大病をわずらう。

5月 8日、ついに2人は立つこともできなくなり、舵取りを失った船は強い風にただ流され続けた。

5月11日の記述

十一日
曇北西風
風やや強く浪高し帆まきあげたるまま流船す
南と西に船はドンドン走つて居る
船長の小言に毎日泣いて居る
病気

航海日誌はこの日で終わっている。

良栄丸がアメリカのシアトル沖で貨物船に発見されるのは、これより半年後の10月31日だった。




事件発覚後、「良栄丸遭難事件」はセンセーショナルに書き立てられました。
特に現地医師の見解である「食人」についてはどんどん尾ひれがつき、そして生まれたのが「ミイラ船・良栄丸」の都市伝説でした。

現地医師が何をもって「食人」と見立てたかはわかりません。
ただ日誌の最後の状況をみれば、残された2人にそんな体力は残されてなかったのではないかと思えます。

航海日誌には都市伝説のように船員が発狂したり食人に及んだとの記述はなく、むしろ全員が最後まで沈着に努力を続け、極限状態の中でも仲間や残した家族を思いやる姿に当時のアメリカの人々は感動したということです。


おわり。
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by kero-tama | 2011-04-16 09:56
【都市伝説】トミノの地獄
「読むと死ぬ」

と言われる詩があります。
黙読するには問題ないが、音読(声に出して読む)すると呪われるというものです。

題名は 「トミノの地獄」

大正生まれの詩人であり作詞家であった西條八十(さいじょう やそ)の作。


姉は血を吐く、妹(いもと)は火吐く、可愛いトミノは宝玉(たま)を吐く。
ひとり地獄に落ちゆくトミノ、地獄くらやみ花も無き。
鞭(むち)で叩くはトミノの姉か、鞭の朱総(しゅぶさ)が気にかかる。
叩けや叩きやれ叩かずとても、無間(むげん)地獄はひとつみち。
暗い地獄へ案内(あない)をたのむ、金の羊に、鶯(うぐいす)に。
皮の嚢(ふくろ)にやいくらほど入れよ、無間地獄の旅支度。
春が来て候(そろ)林に谿(たに)に、暗い地獄谷七曲り。
籠にや鶯、車にや羊、可愛いトミノの眼(まなこ)にや涙。
啼(な)けよ、鶯、林の雨に妹恋しと声かぎり。
啼けば反響(こだま)が地獄にひびき、狐牡丹の花がさく。
地獄七山七谿(ななやまななたに)めぐる、可愛いトミノのひとり旅。
地獄ござらばもて来てたもれ、針の御山(おやま)の留針(とめばり)を。
赤い留針だてにはささぬ、可愛いトミノのめじるしに。


トミノの地獄
西條八十 詩集「砂金」より


「音読したら家族が亡くなった」「黙読しただけで事故に遭った」「黙読であっても何度も読むのは危険」「詩を改変して同人誌を出した人が死んだ」など、さまざまな都市伝説を生んでいる「トミノの地獄」。
何故「音読したら死ぬ」と言われるのかは不明。
解釈もさまざまで「トミノは姉に虐待されて生き地獄に落とされた少女」とか「トミノは戦争に出征した男子」というものもあり、一般的には後者であるとされていますが解釈は読み手に委ねられているあたりが都市伝説の格好の題材となったようです。

後者をふまえて解釈すると、こういうことでしょうか。
「姉は血を吐く」=「お国のために戦争へ征け」と奮い立たせる姉。
「妹は火吐く」=出征する兄を無邪気に激励する妹。
「可愛いトミノは宝玉(たま)を吐く。」=命を差し出す(出征する)。「可愛い」がトミノはまだ少年であるという意味か。
「皮の嚢」=軍用の背嚢(はいのう・バックパック)。
「地獄」=戦場。
「狐牡丹」=キツネノボタン。田んぼの畦や道端に生える牡丹のような葉と小さな黄色い花の植物。有害。
「赤い留め針」=千人針。

千人針とは、第二次世界大戦中に流行した、出征する兵士の武運長久を祈願するお守りで、女性一人ひとりに白い布に赤い糸でひと針縫って結び目を作ってもらうもの。
戦場で武功を立てるというよりは、「トラは千里を行き千里を戻る」とのいわれにあやかって出征した家族が無事帰ってくるよう祈願したものだそうです。
五銭や十銭の硬貨も縫いこまれ、「五銭(ごせん)は死線(しせん)を超える」「十銭(じゅっせん)は苦戦(くせん)を超える」という縁起をかつぎました。
特例として寅年生まれの女性は年齢の数だけ結び目を作れました。
当時は街頭で千人針を求める姿をよく見かけたそうです。
出来上がった千人針は弾除けのお守りとして兵士たちが身に着けました。

詩の最後にこうあります。

  赤い留針だてにはささぬ、可愛いトミノのめじるしに。

戦場へ行く男たちを、女たちは待つしかできません。
千人針はただのお守りではなく、本人と判別できるようにするための「目印」で、たとえ死んでもいつか家族のもとへ帰ってきてほしい、ということなのでしょうか。
そう考えるとこの一文が一番恐ろしく、そして悲しく思えます。

また、作者の西條八十氏は「誰か故郷を想わざる」の作詞も手がけました。
タイトルは「故郷を想わない人はいない」という意味の反語でしたが、そういった難解さからヒットしないと判断されレコードは慰問用に戦地へ送られました。
しかし戦地では望郷の念にかられる兵士たちの間で大ヒットし、慰問に訪れた渡辺はま子がこれを歌うと大将から一兵卒までがみな涙したということです。

話によると、解説に「もうこんな苦しみはトミノで終わらせて下さい」とあるそうです。
もしかしたら「トミノ」は作者の知人の少年だったのでしょうか。
「可愛い」を繰り返すあたり、殺し合いと無縁のおとなしい子のようにも見受けられます。
この時代は表立って戦争を批判する作品は作れなかったため、この詩のような言い回しになったのかもしれません。

飽くまで解釈のひとつですが。


真意とは別に語り継がれる:★★★★☆

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by kero-tama | 2010-12-02 07:40
【謎怖】息子の友人
戦争が終わり家に帰る前夜、青年兵士は自宅に電話した。
明日帰るよと伝えると、両親は涙を流して大喜びした。

「それで、他に行き場所がない友人がいるんだけど…
 一緒に家に住んでもいいかな」

申し訳なさそうな言葉に、息子と共に戦火をくぐった友人を断るべくもないと、両親は友人の同居を快諾した。

「ただ…」息子の声のトーンが少し下がる。
「彼は地雷で両足を失ってしまったんだ」
その言葉に両親は押し黙ってしまった。

「数日ならいいけれど、一生面倒をみるのは無理よ。
 お友達には引きとってもらえる施設を探してあげましょう。
 かわいそうだけど、あなたにも私たちにも自分の人生があるのだから」
 
母親がそう言うと、青年は黙って電話を切った。


翌日、青年は自殺した。







真相はコチラ。
















障害を持った自分を両親が本心ではどう思うかを知りたかった青年は「友人」にすり替えて聞いてみた。

ネットでよく見かける話を若干アレンジしました。
普通は「両手両足を失った」「ビルから飛び降りて死んだ」となっているのですが、両手両足がないまま電話や飛び降り自殺は難しそうなので、両足だけとしました。

息子の友人だと思ったから両親はこう答えましたが、自分の息子だったら決してそうは思わなかっただろうに、というのが悲しい。


両足を失ったのは友人ではなく…:★★★★☆

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by kero-tama | 2010-09-09 23:27
【怖い話】ただいま
A男が海で行方不明になってから1週間。
私はまだ何も受け入れられないまま、A男と暮らした部屋で膝を抱えている。
海に出かける前のままの部屋。
A男が脱ぎ散らかしたジーンズや、読みかけの本も。
片付けてしまったら、彼がいた痕跡を消してしまいそうな恐怖があった。

帰ってきて、はやく、はやく…

ひとりになると悪いことばかり考えるから、と心配したB子とC男が毎日部屋に来てくれる。
今日もふたりが買い物袋を手にやってきた。

「あーまたご飯食べてない。食べないと倒れちゃうよ」
「今夜は鍋だぜ。俺作るから」
「この人、このクソ暑いのに鍋食べたいとか言い出すのよ」
「いーじゃん。みんなと一緒に食べてる感じが好きなんだよ」
「楽だからいいけどー」

やさしい友達。
明るい気遣いがかえって痛いこともあるけど、ひとりじゃきっと不安に押しつぶされていた。

味の分からない食事が終わり片付けをする。
いつもならここでテレビでもつけるところだけど、何故かB子とC男は時々目を見合わせながらそわそわしている。

「あの、さ。D子…」

そのとき。


ピンポーン…


チャイムが鳴った。
反射的に私が立ち上がったのをみて、B子は言葉を止めた。
「はい…」インタフォンの受話器を取る。

『…………ぉ…』

雑音に紛れて、かすれた声が聞こえた。
「どちらさまですか?」

『…………ぃ…』

「なに、故障?変な人?」ふたりが近寄って受話器に耳を寄せる。


『……ただ…い…ま…』


「「「!!?」」」

A男の名を叫び、私はもつれる足で玄関へ走った。
いや、走り出そうとしたところを、B子とC子に引き止められた。

「なにするの!」
いきなりのことで、3人がもつれあって転ぶ。
C男がぶら下がった受話器を取る。

「誰だ!悪戯はやめろ!!」

悪戯?そんな…そんなはずはない。
私はしゃにむにもがいて脱出を試みる。
思わぬ力が出て、友達ふたりが引きずられる。

「まって、D子!あれはA男じゃないよ!A男のはずない!!」

何を言っているのふたりとも。何故邪魔をするの。
構わず私はふたりを引きずって玄関へ向かった。

「A男は死んだんだ!!」

…え?

「A男は死んだ。俺たち今日、警察で本人確認してきたんだ」
「遺体が見つかったらD子に直接連絡しないように頼んでおいたの」

どん!

重いものがドアにぶつかり、そのままずるずるとドアを滑り落ちていくような音がする。

信じられない。
だってほら、A男がそこに…


『…あけて…くれ…ここ…は…くら…い……つめ…た…い……』


半狂乱の私を抑えつけ、ふたりは叫んだ。

「A男、お前はもう死んだんだ!」
「D子を連れて行かないで!」

やめて、やめてやめてやめてやめて!
A男がそこにいるのに!!


『……D…子……』


ずっ、ずずっ、と何かを引きずるような音が遠ざかっていく。
やがて静寂が訪れ、気が緩んだふたりの手を逃れてドアを開く。

アパートの通路には、誰もいなかった。

雨も降っていないのに、通路には濡れたものを引きずったような跡が残っており、
ドアにはくっきりと、大人の手形が残っていただけだった。

かすかに、潮のにおいがした…。







定番都市伝説「帰ってきた死者」を脚色してみました。
七日目に設定したのは、法要の「初七日」に掛けたため。
命日を含めて七日目に、死者は三途の川へたどり着きます。
そこでは「激流」「急流」「緩流」のいずれを渡るかの大事な裁きがあるので、死者が緩流を渡れるよう法要を行ないます。
彼は無事緩流を渡れたでしょうか…。


どんな姿になっても:★★★☆☆

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by kero-tama | 2010-09-05 16:00
【怖い話】猿の手
冷たい雨が降った夜、妻と息子の3人で暮らす老人のもとに一人の軍人が訪れた。
老人が現役だった頃彼はまだひよっこだったが、21年の歳月が彼をたくましい軍人へと変えていた。
遠方からの来客に、老人の妻と息子は興味津々の様子だ。
もてなされた酒が入ると、彼は自分が経験した戦争や災害、奇妙な民族や冒険譚を語って聞かせた。
その話に思いを馳せた老人が、ふと過去を思い出す。

「そういえば昔、わしに"猿の手"というものを話しかけたことがあったな」

すると男は血相を変え「あれは何でもありません」と話を切ろうとしたが、老人の妻がそれに興味を惹かれている様子を見て、渋々とポケットから何かを出した。干からびてミイラになった動物の肢のようだ。

その奇妙なミイラには3人別々の人間に、それぞれ3つの願いを叶えることができるまじないが掛けられている。
まじないを行ったのは歳経た行者で、人に与えられた宿命をねじ曲げようとすれば悲劇が起きる、という教訓のために作ったのだと彼は話した。

老人の息子に問われ、男はこれに願い事をし、そしてそれは叶ったと血の気の失せた顔で答えた。
次に老人の妻に問われ、これを最初に手にした者は、最初と2番目の願い事は判らないが3番目の願い事で自分の死を願った、と答えた。
その後この"猿の手"は自分が所有することになったという。
男の沈鬱な様子に家族は息を飲んだ。

「3つの願いを叶えたならそれはもう君には無用だろう。何故まだ持っている?」
老人が聞くと男は「わかりません」と答え、突然"猿の手"を暖炉の火に投じた。
しかし老人は男の制止も聞かずそれを拾いあげてしまった。
「どうかそれをそのまま燃やしてください」という男と、「君が要らないのなら私にこれをくれ」と言う老人。
重ねて「燃やしてください」と頼む男に、老人は首を横に振った。

「どうやって使うんだ?」

手放す様子のない老人に男は諦めたように「右手に高く掲げ、願い事を言うだけ。しかしその後どうなっても知りません。そして願うなら、どうか分別のある願い事をしてください」と警告した。

男が帰った後、老人は"猿の手"に何を願おうと悩んだ。欲しいものはもう大抵持っている。
すると息子が「家の残金が払えたら楽だから、200ポンドだけくださいと願ってみたら?」と提案。
息子の軽口に微笑むと、老人は"猿の手"を右手で高く掲げた。

「我に200ポンドを授け給え」

途端、老人は悲鳴をあげた。"猿の手"がねじれ動いたというのだ。
しかし駆け寄った妻と息子にきっと勘違いだと言われ、老人は渋々引っ込んだ。
「きっと寝室のベッドにお金が入ったバッグが置いてありますよ」と息子は明るく言った。

翌日、平凡で穏やかな朝を迎えると、息子は昨夜の不安を笑い飛ばした。
そして「大金が手に入っても僕が帰ってくるまで使わないでくださいね」と両親に軽口を言うと、いつものように仕事へと出かけていった。

その昼、身なりの良い男が神妙な様子で家を訪れた。
昨日のこともあって、妻は彼が200ポンドを持ってきたのではないかと期待したが、なかなか用件を言い出せない彼に、老夫婦は不安を覚えた。
男は意を決し、自分は彼らの息子が務める会社から派遣された者で、息子が会社の機械に巻き込まれて死んだことを告げた。
会社は責任を認めず賠償もしないが、勤勉だった彼らの息子に対しいくばくかの補償をしたいと男は申し出た。
老人は恐る恐るその金額を聞いた。


その額は、200ポンドだった。


家から2マイル(約3.2キロ)離れた墓地に息子は埋葬された。
悲しみを紛らわす何かが起こってくれないかと願い続けたが、やがて老夫婦は諦めとともに無気力になり、言葉を交わすこともなくなった。

10日が過ぎた夜、息子の死を悲しんでいた婦人は突然のひらめきに声をあげた。

「"猿の手"! "猿の手"があったわ!」

妻は"猿の手"で愛する息子を生き返らせてくださいと老人に迫った。何故もっと早く思いつかなかったのか、と。
老人が震える声で「それは愚かな願いだ」と訴えても、妻は聞かなかった。
老人は今にも引き裂かれた息子がここに現れる気がして恐怖していた。
しかし「あと2つ、願いが残っている」と泣きわめいて懇願する妻についに根負けして、彼は"猿の手"を高く掲げた。


「息子を生き返らせ給え」


妻は期待に瞳を輝かせて窓の外を見つめ続けたが、明かりに点けた蝋燭が燃え尽きる頃になっても何も起こらなかった。
老人は"猿の手"が効力を発揮しなかったことに安堵した。

ふたりがベッドに戻ってしばらくした頃、老人は蝋燭を取りに階下へ向かった。
ふと、聞こえるか聞こえないかの音で玄関のドアをノックする音が聞こえる。
老人が凍りつく。
ノックは続き、彼は慌てて寝室へ戻った。
妻が何事かと声をかけると、「ねずみだよ」と老人は震える声で答えた。
するとそのとき、大きなノックの音が家中に響き渡った。
「きっとあの子だわ!」と、妻はベッドを飛び起た。「忘れていたわ、あの子が2マイルも離れた場所にいたことを!」
老人はドアへ駆け寄ろうとする妻を強く引き止め、息子を家に入れないよう懇願したが、「あなたは息子を恐れるのですか」と泣き叫ぶ妻は頑として聞き入れない。
そうしている間にもドアを叩く音は続いた。
「行かなければ。ドアを開けてあげないと!」ついに妻は老人の手を振りほどいてドアへ向かった。
しかしかんぬきに手が届かない。
老人は慌てて"猿の手"を探した。
妻が椅子を引きずってくる音がする。
ノックはどんどん激しくなる。
かんぬきが軋み、はずれる音がする。
同時に老人は"猿の手"を見つけ出し、

そして、最後の願いを口にした。




激しく打ち鳴らされていたノックが、余韻を残して突然止んだ。
椅子を引きずってどかし、ドアが開かれる音がする。
冷たい風が、さっと階段を吹き抜けていった。

妻の慟哭が響く。
老人は外に出た。
ゆらめく街灯がひとけのない静かな通りを、ただ照らしていた。







W.W.ジェイコブズの短編小説「猿の手」を、細かいところを省いて掲載。
原文はこちら。
Classic Short Stories - The Monkey's Paw
翻訳機が宇宙語を吐き出すので、内容は意訳です。ご了承ください。

200ポンドは現在だと2~3万円の価値ですが、この物語が書かれた当時としては1年を豊かに暮らせるくらいの金額(現在の日本円にして数百万円くらい?)だったようです…が、確証ありません。ご存知の方、ぜひ教えてください。金額の価値によって印象も変わると思うので…。

様々な都市伝説や創作物の原型として今もなお語り継がれる「猿の手」。
妻と息子との暮らしはささやかですがしあわせなもので、老人に欲しいものなど特にありませんでした。
息子は"猿の手"の効力を信じていませんでしたが、父親の期待を無下にするのはかわいそうだと思ったのでしょう。
最後の老夫婦の葛藤が胸に刺さります。


悲しきは人の業:★★★★★

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by kero-tama | 2010-09-02 01:14
【NEWS】息子の墓
エキサイトニュース:兄弟の埋葬に参列の女性、音信不通の「息子の墓」発見

今月20日にフランスで起きた騒動。

とある女性が亡くなった兄弟の埋葬に参列していたところ、その墓地の一角で自分の息子と同姓同名、同じ生年月日が刻まれた墓碑を見つけた。
ショックのあまり女性は気絶。
数日前、女性は兄弟の葬儀を息子に教えようとしたが連絡がつかずにいた。
てっきり無視しているのだろうと思い込んでいたら、まさか同じ墓地で…。

当局の調べによると、先月亡くなった墓碑の主は女性の息子に間違いないとのこと。

フランスの法律では、死後6日以内に埋葬が義務付けられているため、死亡者の連絡先がすぐに判らない場合はそのまま埋葬されることも珍しくないという。


兄弟の葬儀で気落ちしているところで見つけた息子と同姓同名・同生年月日の墓。
それだけでもショックなのに、それが本当に息子のものだった。
立ち直れなくなりそうですよね。

まるでミステリーのような本当の話。


悲劇の再会:★★★★☆

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by kero-tama | 2010-08-25 04:15
【オカルト】乗っていた客(再録)
keroの知人で霊感体質のTくんがバスの運転士をしていた頃の話。


夜の静かな住宅街を通る道、彼はバスを走らせていた。
お客は途中のバス停を最後に全員降り、すでに車内は無人。
気持ちも軽くバスの折り返し地点を目指していた、その時…


ピ ン ポ ー ン …


「!!!?」

びびるTくん。
車内を見渡せるバックミラーに人は映っていない。
念のため、バスを止めて後ろの席まで確認するが、やはり誰も居ない。

彼は鳥肌を立てながら運転席に戻り、ひたすら運転に集中。
次のバス停でバスを止め、降車口のドアを開けた。

「あ…ありがと…ございました…」

堅く目を閉じてハンドルに頭を伏せ、震える声でそう言うと、しばらくしてからドアを閉めて逃げるように発車した。


「きっと誰かが家に帰ろうとしているんでしょうねぇ」

後日、Tくんはしみじみとそう言った。




前ブログより再録。

Tくんが近くに居ると、不思議体験が大層増えます。
その話はまたそのうちに…


ちょっぴりせつな怖い:★★★☆☆

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by kero-tama | 2010-08-16 06:39
【悲哀】シャボン玉
Uta-Net:[歌詞] シャボン玉

童謡「シャボン玉」の歌詞には、作者・野口雨情の悲しい過去が反映されている。

明治41年、野口雨情は妻との間に女の子をもうけたが、子はわずか7日で亡くなってしまった。
この歌詞は生まれてすぐに死んだ我が子を儚いシャボン玉に例えたものである。
幼すぎた我が子の死を 「生まれてすぐに こわれて消えた」 と綴った雨情の気持ちはいかばかりだったろうか…。


悲しくも、どこか恐ろしい:★★★☆☆

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by kero-tama | 2010-08-15 08:09
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