Excite
 
 
 
<<< 最新最古 >>>
<   2011年 04月 ( 19 )   > この月の画像一覧
【NEWS】福岡県警のお知らせがアリエナイことに
ExciteNews:福岡県警からのお知らせ{手榴弾に注意!!

どこの内紛地帯…て、地元ですか。OTZ
b0198972_23553361.jpg

長年暴力団の抗争が続き、発砲事件数第1位の福岡県内でも福岡市内は比較的平和だと思っていたんだけどなぁ。
まさか手榴弾に注意する日が来るなんて。


福岡県内で起きた手榴弾事件

  • 福岡県北九州市
    2003/08/18

    福岡県北九州市小倉北区鍛冶町にあるクラブに工藤会が爆発物を投げ込み、従業員ら9人が重軽傷を負う事件が発生。
    犯人(指定暴力団工藤会中島組組員・城戸真悟)は犯行後に従業員に取り押さえられ、その際に胸部圧迫による窒息で死亡。
    クラブの経営者は暴力団追放運動のリーダーで、以前から工藤会による嫌がらせが続いていた。

  • 福岡県久留米市
    2009/04/10

    福岡県久留米市新合川1丁目にある造園会社の事務所と、久留米市高良内町にある解体業者のマイクロバスに手榴弾が投げ込まれたが、どちらも動作不良により爆発しなかった。
    警察は九州誠道会の関与があると見ている。

  • 福岡県福岡市
    2011/03/05

    福岡県福岡市東区香椎照葉2丁目の九州電力会長宅ガレージ前で爆発物による器物損壊事件発生。工藤会が関連していると見られている。
    同日、福岡県福岡市中央区薬院4丁目の閑静な住宅街にある西部ガス社長宅に手榴弾らしき金属物が届いた。これも工藤会とトラブルがあったようでその後も西部ガス関連の建物に銃弾が打ち込まれる事件が相次いでいる。

  • 福岡県大牟田市
    2011/04/06

    福岡県大牟田市上官町の路上で車が炎上、九州誠道会系の元組長・松永末治とその兄・沖征治の2人が死亡、手榴弾や拳銃が発見された。
    近くには指定暴力団九州誠道会本部事務所があったため、そこを襲撃しようとして誤って爆発したのではないかとのこと。
    数日前には同市のスナックで九州誠道会がらみの殺傷事件や火炎瓶事件が起きており、その報復と見られている。
    九州誠道会の内部抗争ってことなのかな。
    2011/04/15
    福岡県大牟田市櫟野の県道で手榴弾が落ちているのを新聞配達の男性が発見し通報する事件が発生。けが人などは無し。
    近くに九州誠道会系組事務所があるため、抗争事件に関連するものと見られている。

軽く掘り返しただけでもこんなにあった。OTZ

全国の指定暴力団は2010年02月時点で計22。
内、福岡県の指定暴力団は次のとおり。

 工藤会   北九州市 (770人) 会長・野村 悟
 道仁会   久留米市 (790人) 会長・小林 哲治
 太州会    田川市 (190人) 会長・日高 博
 福博会    福岡市 (330人) 会長・長岡 寅夫(本名: 金 寅純)
 九州誠道会 大牟田市 (350人) 会長・浪川 政浩(本名: 朴 政浩)

5つもあったのね。
構成員の数で見ると兵庫県(山口組 20,300人)と東京(稲川会 4,800人・住吉会 6,100人・極東会 1,200人・松葉会 1,800人)が圧倒的ですが…。

スモーク張った3ナンバー車が出入りしているやたら高い塀に囲まれて監視カメラがたくさん設置されているような家の周囲は注意が必要です。


「福岡って犯罪すごいんでしょ?」といわれるのが…(´・ω・`):★☆☆☆☆

[PR]
by kero-tama | 2011-04-30 01:17
【都市伝説】くねくね
756 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/03/29 18:56
別サイトに掲載されてて、このスレの投票所でも結構人気のある、
『分からないほうがいい』って話あるじゃないですか。
その話、自分が子供の頃体験した事と、恐ろしく似てたんです。
それで、体験した事自体は全然怖くないのですが、
その『分からないほうがいい』と重ね合わせると、凄い怖かったので、
その体験話を元に『分からないほうがいい』と混ぜて詳しく書いてみたんですが、載せてもいいでしょうか?


759 名前:756(1/5) 投稿日:03/03/29 19:18
これは小さい頃、秋田にある祖母の実家に帰省した時の事である。
年に一度のお盆にしか訪れる事のない、祖母の家に着いた僕は、早速大はしゃぎで兄と外に遊びに行った。
都会とは違い、空気が断然うまい。僕は、爽やかな風を浴びながら、兄と田んぼの周りを駆け回った。

そして日が登りきり、真昼に差し掛かった頃、ピタリと風か止んだ。
と思ったら、気持ち悪いぐらいの生緩い風が吹いてきた。
僕は「ただでさえ暑いのに、何でこんな暖かい風が吹いてくるんだよ!」と、
さっきの爽快感を奪われた事で、少し機嫌悪そうに言い放った。
すると兄は、さっきから別な方向を見ている。その方向には案山子(かかし)がある。
「あの案山子がどうしたの?」と兄に聞くと、
兄は「いや、その向こうだ」と言って、ますます目を凝らして見ている。
僕も気になり、田んぼのずっと向こうをジーッと見た。
すると、確かに見える。何だ…あれは。


761 名前:756(2/5) 投稿日:03/03/29 19:19
遠くからだからよく分からないが、人ぐらいの大きさの白い物体が、くねくねと動いている。
しかも、周りには田んぼがあるだけ。近くに人がいるわけでもない。
僕は一瞬奇妙に感じたが、ひとまずこう解釈した。
「あれ、新種の案山子じゃない?
 きっと!今まで動く案山子なんか無かったから、農家の人か誰かが考えたんだ!
 多分さっきから吹いてる風で動いてるんだよ!」
兄は、僕のズバリ的確な解釈に納得した表情だったが、その表情は一瞬で消えた。
風がピタリと止んだのだ。しかし例の白い物体は、相変わらずくねくねと動いている。
兄は「おい…まだ動いてるぞ…あれは一体何なんだ?」と驚いた口調で言い、
気になってしょうがなかったのか、兄は家に戻り、双眼鏡を持って再び現場にきた。
兄は少々ワクワクした様子で、
「最初俺が見てみるから、お前は少し待ってろよー!」と言い、はりきって双眼鏡を覗いた。


762 名前:756(3/5) 投稿日:03/03/29 19:20
すると急に、兄の顔に変化が生じた。
みるみる真っ青になっていき、冷や汗をだくだく流して、ついには持ってる双眼鏡を落とした。
僕は兄の変貌ぶりを恐れながらも、兄に聞いてみた。
「何だったの?」
兄はゆっくり答えた。
『わカらナいホうガいイ……』
すでに兄の声では無かった。兄はそのままヒタヒタと家に戻っていった。
僕はすぐさま、兄を真っ青にしたあの白い物体を見てやろうと、落ちてる双眼鏡を取ろうとしたが、
兄の言葉を聞いたせいか、見る勇気が無い。
しかし気になる。
遠くから見たら、ただ白い物体が奇妙にくねくねと動いているだけだ。
少し奇妙だが、それ以上の恐怖感は起こらない。しかし兄は…。
よし、見るしかない。どんな物が兄に恐怖を与えたのか、自分の目で確かめてやる!
僕は落ちてる双眼鏡を取って覗こうとした。
その時、祖父がすごいあせった様子でこっちに走ってきた。
僕が「どうしたの?」と尋ねる前に、すごい勢いで祖父が、
「あの白い物体を見てはならん!見たのか!お前、その双眼鏡で見たのか!」と迫ってきた。
僕は「いや…まだ…」と少しキョドった感じで答えたら、
祖父は「よかった…」と言い、安心した様子でその場に泣き崩れた。
僕はわけの分からないまま、家に戻された。


763 名前:756(4/5) 投稿日:03/03/29 19:22
帰ると、みんな泣いている。僕の事で?いや、違う。
よく見ると、兄だけ狂ったように笑いながら、まるであの白い物体のようにくねくね、くねくねと乱舞している。
僕はその兄の姿に、あの白い物体よりもすごい恐怖感を覚えた。

そして家に帰る日、祖母がこう言った。
「兄はここに置いといた方が暮らしやすいだろう。
 あっちだと狭いし、世間の事を考えたら、数日も持たん…
 うちに置いといて、何年か経ってから、田んぼに放してやるのが一番だ…」
僕はその言葉を聞き、大声で泣き叫んだ。
以前の兄の姿はもう無い。
また来年、実家に行った時に会ったとしても、それはもう兄ではない。
何でこんな事に…ついこの前まで仲良く遊んでたのに、何で…。
僕は必死に涙を拭い、車に乗って実家を離れた。


764 名前:756(5/5) 投稿日:03/03/29 19:23
祖父たちが手を振ってる中で、変わり果てた兄が、一瞬、僕に手を振ったように見えた。
僕は遠ざかってゆく中、兄の表情を見ようと双眼鏡で覗いたら、兄は確かに泣いていた。
表情は笑っていたが、今まで兄が一度も見せなかったような、最初で最後の悲しい笑顔だった。
そして角を曲がったときに、もう兄の姿は見えなくなったが、僕は涙を流しながら、ずっと双眼鏡を覗き続けた。
「いつか…元に戻るよね…」
そう思って、兄の元の姿を懐かしみながら、緑が一面に広がる田んぼを見晴らしていた。
兄との思い出を回想しながら、ただ双眼鏡を覗いていた。
…その時だった。
見てはいけないと分かっている物を、間近で見てしまったのだ。

「くねくね」







2ちゃんねるより。

先日掲載した「分からない方がいい」と類似する話。
田んぼの中にくねくねと動く人間ほどの大きさをした謎の物体。
それを直視した者は、物体が何であるかを理解した途端に正気を失う。

この話では「何年か経ってから、田んぼに放してやるのが一番だ」という台詞があり、地元の人たちはそれが何か大体の見当がついている様子。
そうすると兄弟が見た「くねくね」は、同様に「くねくね」を見た被害者なのでしょうか。
ずっと家に置いておかず、数年経ってから田んぼに放すのは、被害者が「人ならざるもの」になってしまうからなのでしょうか。
これだけの実害があるにもかかわらず何の対策もされないのは、これが土地の神や魔に関係したタタリの一種で人では手がつけられないからなのでしょうか。
想像が尽きません。


想像を掻き立てられる「未知」という恐怖:★★★★☆

[PR]
by kero-tama | 2011-04-25 01:11
【NEWS】東日本大震災は人工地震!と議員がツイート
ExciteNews:「東日本大震災は人工地震」と民主党議員が言及

今回の大震災は人工的に引き起こされたものだったんだよ!
b0198972_13133789.gif

b0198972_1314915.gif

MMRのみなさん出番ですよ。

梶川ゆきこ議員のツイッターでは、アメリカのHAARPが今回の地震を人工的に引き起こした、とか、震源地に核爆弾を埋めて地震を起こした、とか、深海掘削船で津波兵器使用の可能性、などの陰謀論がてんこもり。
梶川ゆきこ☆蝶々の随想記☆ ←こちらは個人サイト

keroにはこの真偽が正直わかりませんが、ただこの記事で言えることは、本気で危険を警告するなら説得できるだけの根拠を提示しなければならない、ということですね。
「ネットでみたから本当!」では余計に胡散臭くなってしまわないですか。
keroも陰謀論やトンデモ科学を楽しむ人ですが、現実の災害で風評被害が深刻になっているのに、与党議員がこんなこと言うのは…ある意味凄い。


正直脱力した(´△`;):★☆☆☆☆

[PR]
by kero-tama | 2011-04-24 15:01
【都市伝説】分からない方がいい
212 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:2001/07/07(土) 01:28
わたしの弟から聞いた本当の話です。
弟の友達のA君の実体験だそうです。

A君が、子供の頃A君のお兄さんとお母さんの田舎へ遊びに行きました。
外は晴れていて、田んぼが緑に生い茂っている頃でした。

せっかくの良い天気なのに、なぜか2人は外で遊ぶ気がしなくて、家の中で遊んでいました。
ふと、お兄さんが立ち上がり窓のところへ行きました。
A君も続いて、窓へ進みました。
お兄さんの視線の方向を追いかけてみると、人が見えました。
真っ白な服を着た人が、1人立っています。(男なのか女なのか、その窓からの距離ではよく分からなかったそうです)
あんな所で何をしているのかなと思い、続けて見ると、
その白い服の人は、くねくねと動き始めました。
踊りかな?そう思ったのもつかの間、その白い人は不自然な方向に体を曲げるのです。
とても人間とは思えない、間接の曲げ方をするそうです。
くねくねくねくねと。
A君は気味が悪くなり、お兄さんに話しかけました。
「ねえ。あれ、何だろ?お兄ちゃん、見える?」
するとお兄さんも、「分からない」と答えたそうです。
ですが答えた直後、お兄さんはあの白い人が、何なのか分かったようです。
「お兄ちゃん、分かったの?教えて?」とA君が、聞いたのですが、
お兄さんは「分かった。でも、分からない方がいい」と、答えてくれませんでした。

あれは、一体なんだったのでしょうか?
今でも、A君は、分からないそうです。
「お兄さんに、もう一度聞けばいいじゃない?」と、私は弟に言ってみました。
これだけでは、私も何だか消化不良ですから。
すると、弟がこう言ったのです。
「A君のお兄さん、今、知的障害になっちゃってるんだよ」




2ちゃんねるより。

この話は後に「くねくね」という都市伝説を生むことになりました。
それはまた次の話で。


「得体の知れない」恐怖:★★★★☆

[PR]
by kero-tama | 2011-04-23 12:57
【不思議】ちっこいおっさん
従姉妹「こないだちっこいおっさん見たんよ」

kero「なにそれ?」

従姉妹「夜トイレに起きたら、キッチンの流し台のところに10センチくらいの裸のおっさんが立っとったん」

kero「???」

従姉妹「目が合うと、おっさん『キャーーーー!!』って叫びながら飛び降りてトイレのドアの隙間に逃げ込んだんよ。もちろん追いかけるやん?」

kero「えー;」

従姉妹「ほしたら、おっさん、便座に駆け上がってレバーにしがみついて水をザーッと流すと、『キャーーーー!!』って叫びながら足から便器のなかに飛び込んでバンザイしたままぐるぐるぐるーっと回って流されていってん。…あれはなんやったんやろうなぁ?」


昔からよく寝ぼける子でした:★☆☆☆☆

[PR]
by kero-tama | 2011-04-20 00:06
【謎怖】なんのこと?
夫は一ヶ月くらい前から毎晩同じ夢を見るという。

真夜中、ふと目が覚めると、天井に自分とまったく同じ姿の人間がしがみついている。
そいつは首だけ自分の方に向けてこう言うのだ。

『お前はもう十分生きただろ。代わってくれよ』

夫は「また今日も見ちゃったよ」というのが毎朝の挨拶になっていた。
さすがにこう続くと心配になる。

ある朝、夫が起きてきた。
しかしその日に限って夫は「おはよう」としかいわなかった。

「あら、今日は例の夢は見なかったの?」と聞くと、夫はしれっとこう言った。


『 な ん の こ と ? 』







解説はコチラ。
















入れ替わってる。

2ちゃんねるより。


本物はどこへ:★★★☆☆

[PR]
by kero-tama | 2011-04-19 00:28
【オカルト】泡幽霊
kero母から聞いた話。

kero母の知人に、関西の有名なソープ街で働いていた男性がいた。
そのソープ街には「幽霊が出る店は繁盛する」というジンクスがある。
こういった業界では結構縁起を担ぐ店が多い。

母の知人男性が働くソープランドも二階の従業員休憩室に女の幽霊が出ると有名で、従業員のほとんどがそれを目撃していた。

が。目撃した従業員いわく。


「物凄くエグイ」


女幽霊の顔は正視できないほどグチャグチャに潰れているというのだ。

知人男性も目撃した一人で、コタツで仮眠中に目を覚ますと目の前にその顔があり、絶叫とともに店を飛び出して近所の飲み屋に駆け込んだそうだ。
何をしてくるわけでもないのだが、あまりの「エグさ」に耐えられず店を辞める従業員まで出たため、困り果てた店長はついにお祓いを依頼した。

以後、ピッタリと女幽霊は出なくなったが、同時に店は廃れてしまったんだそうな。


究極の選択:★★★☆☆

[PR]
by kero-tama | 2011-04-18 10:54
【謎怖】誤送信
108 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/12/01(火) 20:27:51.31 ID:7/GTjyyFO
俺、実家暮らしなんだけどさ。さっき彼女に「今夜会える?」ってメールしようとして
間違って家にいるカーチャンに送っちまったわけwww
そしたら返信が「ごめん。○○(俺の名前)さん。今夜は会えないの」だってwww
「ちょ、お袋なにふざけてんの(笑)」って送ったらすぐに返信がきて「今どこ?」
「家だよ」ってメールしたらなぜか電話かけてきやがんのwww
出てもすぐ切るし、かと思うとまた鳴るし、テラいやがらせwww
もしやカーチャン浮気してたのかwww





解説はこちら。
















2ちゃんねるより。

カーチャンの携帯電話を持っているのは母になりすました見知らぬ「誰か」。
同じ家にいると判明したため、着信音をたよりにこっそりと「俺」を探している。
当然、「カーチャン」はすでに…



逃げてー!:★★★☆☆

[PR]
by kero-tama | 2011-04-17 13:39
【事件事故】良栄丸遭難事件4-航海日誌
1.発覚  2.不思議  3.恐怖(動画)  4.航海日誌

航海日誌概要

1926年(大正15年)

12月 5日、神奈川県の三崎漁港を出港。
銚子の沖合いを目指すつもりが天候が悪く銚子港を目指す。

12月 6日、銚子港へ一時入港。

12月 7日、銚子港を出港。以後銚子沖で漁に励む。

12月12日、突如機関クランクシャフトが折れ、航行不能に。
そこに西からの強い季節風が追い討ちをかけ、船は沖へ沖へと流される。

この時代の漁船に無線が付いていなのは一般的。
また当時はエンジンの出力が弱かったため補助として帆が付いていた。

12月15、16日の2日の間に「紀州船に似た20トンくらいの船」「東洋汽船会社の船」「同業の肥州舟」の三隻の船を発見。
大漁旗を揚げ、火を焚いて大騒ぎしたが、しかしいずれも良栄丸に気づくことなく過ぎ去った。

救助の可能性は低かった。
しかし幸いにも船には食料がある。
船長は漂流を決意、船員もそれに賛同。
食料は4ヶ月もたせるため干物にされた。

日本へ戻ろうにも、強い西風は連日船を東へと押し流す。
これだけ走って島影ひとつ発見できない。

12月20日の記述

二十日朝八時に至り風北にしておだやかなり
西風毎日強い故思ひ切つてアメリカへ乗出といふ太い事を船長が相談を致した所、まだ落合つかず兎に角アンカ三丁上る事にした
十八日午前一時より廿日午前六時まで五十四時間流した

責任のない人はどうでもよいが嫁内小供のある人は実にお気の毒である
又国元の方でも一方ならぬ大さわぎある
何にしても約束であるとあきらめ居てる

親のばちが子にくる
昔々古人の伝へこの十二名は誠に因念の悪いものである
万一助かつたればそれこそ今度は皆大難を通越し運勢朝の昇る如し

サヨナラ


どんなに日本へ向かおうとも、西風は強く押し戻される。
船長は、ならば思い切ってアメリカへ向かおうと決断。
アメリカまで4ヶ月はかかるし、それが困難なこともわかっている。
しかしこのまま救助を待ってただ漂流するよりは、と船員もそれに従った。

後に、気象学者・藤原咲平はこう語る。
「漁船にて米国に達せんとするは、コロンブスのアメリカ大陸発見よりも困難なりと心得うべし」

12月26日、良栄丸はついに東へ、アメリカへと舵を取った。
この日から元号が「大正」から「昭和」になるが、船員たちが知る由は無かった。

12月27日、沖の大海へ出ると波も風も何も無い。
もう外国と日本の中ほどにまで流されたのではないかと不安が募る。

1927年(昭和2年)1月1日の記述

あけましてお目出たう
年玉の御寿を幾千代かけて御祝納め候なり
大正十六年一月元旦計

流れ二八○時、ヴエス一六六時
元日の事とて赤めしにコーヤのさいで目でたい祝をすまし色色思ひ思ひに話して夜にいつた
午後七時風が静かになり流した


年が明けてからも、船員たちは波風を頼りない帆で乗り切ろうと奮闘。
時折魚を釣り上げてみなで大喜びし、ご馳走とした。

1月、2月の日誌は特筆すべきことがあまりなかったためか、ほとんどが日付と方角、航海距離の短い記述が続く。

1月27日、外国の船を発見し、火で信号を送るが気づかれなかった。

2月17日、5貫、6貫(1貫=3.75キロ)の魚を三匹釣り上げ、その喜びに皆笑い、たとえることもできないほど大騒ぎをする。
日誌に書き綴られた、船員たちの最後の明るさだった。

この先から航海日誌は日付と方角程度しか書かれなくなる。

3月5日、ついに糧食が尽きる。
この日、機関長・細井伝次郎が病気のため死亡。

3月6日、残った乗組員連名で船板に遺書を書き残す。
板に書いたのは、船が沈んでも遺書だけはいつか陸に漂着して国へ帰れることを願ったためと思われる。
また、各自記名した封筒に入れた髪と爪も保管された。

遺書

和歌山県西牟婁郡和深村 船主 細井音松(良栄丸)

乗組連名  
船長  三鬼 登喜造
機関長 細井 伝次郎
友取  桑田 藤吉
    寺田 初造
    直江 常太郎
    横田 良之助
    井澤 捨次
    松本 源之助
    辻内 良治
    三谷 寅吉
    詰光 勇吉
    上平 由四郎

右十二名 大正十五年十二月五日
神奈川三崎出発営業中 機関クランク部破レ
食料白米壱石六斗ニテ今日迄命ヲ保チ
汽船出合ズ 何ノ勇気モ無ク ココニ死ヲ決ス

              大正十六年新三月六日

これ以後、日誌には数日おきに船員たちの死が綴られた。
時に魚やサメを釣り、鳥を捕まえて食するが、栄養の偏り、失調によって船員は次々と倒れた。
最初の三名は水葬されたようだが(日誌に水葬の記述はない)、それ以後、死者は船内に放置されたままとなる。

4月19日に上平由四郎が死亡してからは、船には船長・三鬼登喜造と松本源之助のみとなった。

それからも、2人は重度の脚気(カッケ)※に苦しみながら、「命に代えられぬ」と必死に船を修理し、荒れる海に船を操った。
※脚気:ビタミンB1の欠乏によって心不全と抹消神経障害をきたす疾患。下肢の痺れがおきるため「脚気」の名で呼ばれる。

船長・三鬼登喜造が妻子に宛てた手紙

カツエ トッタン(父さん) カヘレナクナリ ナサケナイ
ハハノタシニナッテヤッテクダサレ
トッタン

キクオ オオキクナリテモ リョウシハ デキアセン(漁師にはなるな)

アナタモ コレカラハ クロウデス(略)
アト十二、三ネンハイキタカッタ
ワタシノ スキナノハ ソウメンニモチデシタ
ミキトキゾウノツマ オツネサマ


5月 6日、船長が大病をわずらう。

5月 8日、ついに2人は立つこともできなくなり、舵取りを失った船は強い風にただ流され続けた。

5月11日の記述

十一日
曇北西風
風やや強く浪高し帆まきあげたるまま流船す
南と西に船はドンドン走つて居る
船長の小言に毎日泣いて居る
病気

航海日誌はこの日で終わっている。

良栄丸がアメリカのシアトル沖で貨物船に発見されるのは、これより半年後の10月31日だった。




事件発覚後、「良栄丸遭難事件」はセンセーショナルに書き立てられました。
特に現地医師の見解である「食人」についてはどんどん尾ひれがつき、そして生まれたのが「ミイラ船・良栄丸」の都市伝説でした。

現地医師が何をもって「食人」と見立てたかはわかりません。
ただ日誌の最後の状況をみれば、残された2人にそんな体力は残されてなかったのではないかと思えます。

航海日誌には都市伝説のように船員が発狂したり食人に及んだとの記述はなく、むしろ全員が最後まで沈着に努力を続け、極限状態の中でも仲間や残した家族を思いやる姿に当時のアメリカの人々は感動したということです。


おわり。
[PR]
by kero-tama | 2011-04-16 09:56
【事件事故】良栄丸遭難事件3-恐怖(動画)
1.発覚  2.不思議  3.恐怖(動画)  4.航海日誌

語り継がれる恐怖

当時のアメリカの新聞では良栄丸の「食人」が取り沙汰され、後に日本の雑誌でもそれは取り上げられました。
80余年経った現在でも、「良栄丸遭難事件」の恐怖は語り継がれ、ネットの海を漂っています…

YouTube:背筋も凍る怖い話 『ミイラ船良栄丸事件』


YouTube:背筋も凍る怖い話 『ミイラ船良栄丸事件』 【記録編】



動画の文字が読みづらい人はこちら↓。
ほぼ同文なのでこの文章を元に作られた動画と思われます。
以下、2ちゃんねるに書き込まれた記事。

x845 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/05 23:20
■発見されたミイラ船
1927年10月31日、カナダ西海岸バンクーバー島。
ワシントンのシアトル港への帰路についていた、アメリカの貨物船「マーガレット・ダラー」号は、
行方不明になっていた小型漁船「良栄丸」を発見した。
ボロボロに朽ち果てた船体、ミイラの転がる甲板、激しい死臭、白骨体、足の無い死体。
船室には、頭蓋骨を砕かれた白骨体とミイラがあった。
船室奥の部屋には、おびただしい血痕が染み付いていた。
船尾の司厨室では、海鳥の白い羽が至るところに散らばっており、
コンロの上にあった石油缶の中には、人の腕が入っていた。
船内には食物も飲料水も無く、エンジン機関部は全て破損していた。
ところが、船長室から見つかった3冊のノートには、信じられない惨状が書かれていたのだった。
そのノートによると、良栄丸の情報は以下の通りだ。

重量は19tで1本マスト
船主は和歌山県の藤井三四郎
船長は三鬼時蔵
機関長は細井伝次郎
乗組員は12名
神奈川県の三崎港を出港したのは1926年12月5日
約1年間漂流していた
ここで疑問が浮かぶ。
発見された死体は9体、記録には12名とある。
3名はどうなったのだろうか。


846 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/05 23:22
■不幸な漁船
1926年12月5日、神奈川県の三崎港を出港した良栄丸は、千葉県銚子沖にマグロを求めて進んでいた。
天候も思わしくなく、エンジンが調子の悪い排気音を立てていたため、翌12月6日に銚子港に寄港した。
しかし、エンジンに故障はなく、銚子の沖合いで大量のマグロを水揚げした。
が、暴風に見舞われて航行不能に陥ってしまった。
そして12月15日、銚子の東方沖合い1000マイルほど流された時、
紀州船によく似た船が現れたので、信号を送ったり船員が叫んだりしたのに、応答も無く通り過ぎてしまったという。
三鬼船長は漂流を決意、記録には「4ヶ月間は食べられる」と書いてあった。
12月16日にも「東洋汽船」と書かれた船が近くを通ったが、応答はなかったという。
なんとか日本へ戻ろうと努力したが、どうやっても逆に流されていった。
記録にはこう書かれている。
「どう工夫しても西北へ船は走らず絶望。ただ汽船を待つばかり。
 反対にアメリカへ漂着することに決定。帆に風を七三にうけて北東に進む・・・。
 しかし、漁船で米国にたどりつこうとするは、コロンブスのアメリカ大陸発見より困難なりと心得るべし」


847 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/05 23:26
■恐怖の記録
ここからは説明は要らないだろう。
記録文のみで充分に迫力が伝わってくる。

「12月27日。カツオ10本つる」
「1月27日。外国船を発見。応答なし。雨が降るとオケに雨水をため、これを飲料水とした」
「2月17日。いよいよ食料少なし」
「3月6日。魚一匹もとれず。食料はひとつのこらず底をついた。恐ろしい飢えと死神がじょじょにやってきた」
「3月7日。最初の犠牲者がでた。機関長・細井伝次郎は、
 「ひとめ見たい・・・日本の土を一足ふみたい」とうめきながら死んでいった。全員で水葬にする」
「3月9日。サメの大きなやつが一本つれたが、直江常次は食べる気力もなく、やせおとろえて死亡。水葬に処す」
「3月15日。それまで航海日誌をつけていた井沢捨次が病死。かわって松本源之助が筆をとる。
 井沢の遺体を水葬にするのに、やっとのありさま。
 全員、顔は青白くヤマアラシのごとくヒゲがのび、ふらふらと亡霊そっくりの歩きざまは悲し」
「3月27日。寺田初造と横田良之助のふたりは、突然うわごとを発し、
 「おーい富士山だ。アメリカにつきやがった。ああ、にじが見える・・・。」などと狂気を発して、
 左舷の板にがりがりと歯をくいこませて悶死する。いよいよ地獄の底も近い」


848 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/05 23:26
「3月29日。メバチ一匹を吉田藤吉がつりあげたるを見て、三谷寅吉は突然として逆上し、
 オノを振りあげるや、吉田藤吉の頭をめった打ちにする。
 その恐ろしき光景にも、みな立ち上がる気力もなく、しばしぼう然。
 のこる者は野菜の不足から、壊血病となりて歯という歯から血液したたるは、
 みな妖怪変化のすさまじき様相となる。ああ、仏様よ」
「4月4日。三鬼船長は甲板上を低く飛びかすめる大鳥を、ヘビのごとき速さで手づかみにとらえる。
 全員、人食いアリのごとくむらがり、羽をむしりとって、生きたままの大鳥をむさぼる。
 血がしたたる生肉をくらうは、これほどの美味なるものはなしと心得たい。
 これもみな、餓鬼畜生となせる業か」
「4月6日。辻門良治、血へどを吐きて死亡」
「4月14日。沢山勘十郎、船室にて不意に狂暴と化して発狂し死骸を切り刻む姿は地獄か。
 人肉食べる気力あれば、まだ救いあり」
「4月19日。富山和男、沢村勘十郎の二名、料理室にて人肉を争う。
 地獄の鬼と化すも、ただ、ただ生きて日本に帰りたき一心のみなり。
 同夜、二名とも血だるまにて、ころげまわり死亡」


849 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/05 23:26
「5月6日。三鬼船長、ついに一歩も動けず。乗組員十二名のうち残るは船長と日記記録係の私のみ。
 ふたりとも重いカッケ病で小便、大便にも動けず、そのままたれ流すはしかたなし」
「5月11日。曇り。北西の風やや強し。南に西に、船はただ風のままに流れる。
 山影も見えず、陸地も見えず。船影はなし。
 あまいサトウ粒ひとつなめて死にたし。
 友の死骸は肉がどろどろに腐り、溶けて流れた血肉の死臭のみがあり。
 白骨のぞきて、この世の終わりとするや・・・」

日記はここで切れている。
だが三鬼船長は、杉板に鉛筆で、以下のような家族宛ての遺書を残していた。

「とうさんのいうことを、ヨクヨク聞きなされ。
 もし、大きくなっても、ケッシテリョウシニナッテハナラヌ・・・。
 私は、シアワセノワルイコトデス・・・ふたりの子どもたのみます。
 カナラズカナラズ、リョウシニダケハサセヌヨウニ、タノミマス。
 いつまで書いてもおなじこと・・・でも私の好きなのは、ソウメンとモチガシでしたが・・・
 帰レナクナッテ、モウシワケナイ・・・ユルシテクダサイ・・・」


851 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/07/05 23:27
■奇妙な事実
しかし、記録を調べるうちに、奇怪な事実が浮かびあがった。
数十回に渡って他の船にであっていながら、救助に応答する船は一隻としてなかったことだ。
そして、吉栄丸は太平洋横断の途中、たった一つの島さえも発見できなかったのである。
しかし、アメリカの貨物船「ウエスト・アイソン」号のリチャード・ヒーリィ船長は、次のように述べている。 

「1926年12月23日、シアトルから約1000キロの太平洋上で波間に漂う木造船を発見したが、
 救助信号を送っても返事が無いので近づきました。
 しかし、吉栄丸の船窓や甲板に立ってこっちを見ていた10人ほどの船員は、誰一人として応えず、
 馬鹿らしくなって引き上げたのです」

だが吉栄丸の記録にこのことは書かれていない。
一体、彼らにはなにが起こっていたというのだろうか。

これに加え、動画の最後にはこうあります。

~不気味な後日談~

実は良栄丸事件は戦後にも起こっている。

昭和35年1月12日、高知県土佐清水市の「第2良栄丸」は沼津を出航し、翌1月21日夜に遭難した。
この時の乗組員は12名で、そのうち3名が行方不明となり、残り9名は自力で小笠原諸島の無人島・姉島に泳ぎ着いた。
9名はその90時間後に巡視船むろとに救助されている。

同じ名前の船、同じ数の乗組員、そして同じ数の行方不明者…

果たしてこれが偶然といえるだろうか…


つづく
[PR]
by kero-tama | 2011-04-15 08:15
<<< 最新最古 >>>











・取扱説明書・
(除霊動画付き)


・投稿募集中・