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【事件事故】三毛別羆事件2-襲撃
1出現 2襲撃 3再襲 4惨劇 5戦慄 6討伐 7最期


襲撃

大正4年(1915年)

この頃の北海道は函館に鉄道が開通、11年後には千歳に飛行場も出来るという近代化の波が押し寄せていた。
その一方で、移民奨励金とわずかな農具を頼りに北海道へ入植した人々がいた。
ほとんどは貧しい農民やわけありの人たちで、彼らは近代化してゆく都市部とはかけ離れた生活をし、北海道の大自然を相手にほとんど人力で土地を切り開いていった。
極寒の気候、人間を拒む自然、そして野生動物の脅威に晒されながらの厳しい生活だった。


12月9日

わずか15戸の開拓村は、収穫の出荷でどこも男手が出払っていた。
三毛別川上流の太田家に寄宿していた長松要吉(通称オド 59)と家主の三郎(42)は伐採などの仕事に出かけ、三郎の内縁の妻・阿部マユ(34)と当家に預けられていた蓮見幹雄(6)の2人が残って穀物の選別作業をしていた。

昼、飯を食べに戻ったオドは、囲炉裏端に座り込む幹雄を覗き込んで驚愕する。
喉元をえぐられ、右側頭部には親指大の穴を穿たれて幹雄は絶命していた。
おののいたオドは幹雄と一緒にいたはずのマユを呼んだが返事はなく、暗い部屋の奥から異様な臭気が漂うだけだった。

仕事場に戻ってきたオドに報せを聞いた男たちは太田家へ駆けつけた。
トウモロコシを干してあった窓は破られ、そこから囲炉裏まで続くヒグマの足跡が見つかった。
居間にはヒグマの足跡と未だくすぶる薪、柄が折れた血染めのマサカリが。
そしてヒグマの足跡は鮮血に染まった部屋の隅に向かい、そこから足跡と血痕が土間を通って窓へ続いた。
窓枠には人間の頭髪が絡み付いており、窓の外から森へは何かを引きずった跡と血の筋が残っていた。

村人は予想した。
ヒグマは窓に吊るされたトウモロコシを食べようとしたが、それに気づいて驚いたマユと幹雄に逆上し、窓を破って向かっていった。
幹雄は喉をかきえぐられ、親指大の穴があくほどの牙で頭を齧られ絶命。
燃える薪やマサカリで抵抗しながら逃げたマユは部屋の隅に追い詰められ、ヒグマの攻撃を受けてしまった。
ヒグマはマユの体をひきずり、再び窓から外へと出て行ったのだろう、と。

男たちは集まって話し合った結果、斉藤石五郎(42)に役場と警察、そして幹雄の実家である蓮見家へ直接出向いて連絡を取るよう頼んだ。
石五郎は明景家に家族を避難させることになり、所用で不在となる明景家当主に代わって男手としてオドも一緒に泊まることになった。


翌12月10日

ヒグマの足跡を追って森に入った30人の捜索隊は、150メートルほどで巨大なヒグマに遭遇。
5人のマタギ(猟師)が一斉に発砲したが、手入れが行き届いていなかったためことごとく不発、発砲できたのは1丁だけだった。
しかし運良くヒグマが逃走したため被害はなかった。
彼らが周囲を捜索すると、血に染まった雪の下から黒い足袋(たび)を履きぶどう色の脚絆(きゃはん)がからまった膝から下の足と頭蓋の一部だけとなったマユの遺骸が見つかった。
ヒグマは一晩かけて彼女を貪り続け、残りを雪の下に埋めて保存食としたのだ。
一行は遺体を回収し、開拓村へと引き上げた。


「ヒグマはまた来る」


熊は執念深く、奪われたものを取り返しにくる。
熊の習性を熟知した村人が、そう言った。

そしてその予想どおり、惨劇は再び起こったのだった…。


【事件事故】 三毛別羆事件(その3)「再襲」 へつづく。


1出現 2襲撃 3再襲 4惨劇 5戦慄 6討伐 7最期

by kero-tama | 2010-09-23 08:48
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