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【NEWS】妖怪ロード大盛況
Excite News:境港の妖怪ロードに200万人 過去最高

漫画家であり妖怪研究家の第一人者である水木しげる先生といえば、世代を超えて何度もリメイクされている作品「ゲゲゲの鬼太郎」や、水木夫妻を描いたドラマ「ゲゲゲの女房」が有名ですが、「水木しげるロード」を訪れた人が、1993年のオープン以来200万人を突破したそうです。
ここには水木しげる氏ゆかりの妖怪ブロンズ像が130体以上も展示されていて、現在もその数を増やしています。
人気の「目玉の親父像」などは度々盗難に遭うほどだそうです。
人口約3万人の町にこれだけの観光客は凄いですね。
ちなみに観光客がここで1番困るのは「食事する場所があまりない」ということだそうです。


水木しげる(本名:むら しげる)。
1922年3月8日生まれ、鳥取県境港市出身。

水木氏の妖怪好きは、幼少の頃に「のんのんばあ」と呼ばれる老婆が話してくれたお化けや妖怪、地獄の話に強い影響を受けたのが始まりだそうです。

5歳の頃、「死」に興味を持ち、なんと弟を海に突き落とそうとします。
近所の人に見つかって事無きを得たそうですが、こっぴどく叱られお灸を据えられたそうです。

子供の頃からとにかくマイペースな性格で、寝坊・遅刻は当たり前。
勉強はあまりできるほうではなかったということです。

水木氏は就職後もマイペースな性格が災いしてクビが続き、体を壊した水木氏を見て「もう職探しは辞めて絵の勉強をしてはどうか」という父の言葉に大層喜びますが、絵の学校に通うも自分より技量の低い先生に失望してしまいます。

やがて大東亜戦争が勃発し、水木氏は徴兵検査に乙種合格(頑健だったが視力が弱かったため)。
軍隊生活でもマイペースで大胆な態度から将校と間違われて古参兵に背中を流され、二等兵とバレて張り倒されたこともあったとか。
とにかく楽天的な性格でしたが、それでも凄惨を極めた南方戦線送りになったときはさすがに青ざめたのだそうです。

ニューブリテン島での戦争体験がその後の水木氏の作品に大きく影響を与えました。
連隊長から玉砕命令が出たとき、水木氏の部隊は隊長の機転で生き延びることができましたが、命令に違反したとして責任をとった隊長は自決。
武器を捨てて命からがら敵から逃げたときは上官に「何故死ななかったのか」と詰問されます。
マラリア熱に罹り、栄養失調で衰弱したところを現地民に助けられたこともあったそうです。
その後水木氏は爆撃で左腕に重傷を負い、麻酔なしで切断手術を受けることに。
終戦を迎えたとき、水木氏が所属する数十名が在籍した中隊は、水木氏ひとりを残して全滅していました。

腕の治療と苦しい生活が続く中、水木氏は借金付きのアパート経営、紙芝居作家、貸本漫画家など、様々な職を経て漫画家に。
貸本漫画家の頃、水木氏は戦争経験を元にした作品をいくつか発表しています。
しかし当時もてはやされた勝利や英雄性を全面に出した戦争漫画とは違い、実体験を元にした悲惨で理不尽な生と死を描いたため、マニアックなファンを除けば一般受けするものではなく、原稿料を値切られることもしばしばあったのだそうです。

40近い歳になった水木氏を心配した両親はドラマ「ゲゲゲの女房」でもご存知の布枝さんとの見合いをすすめ、ふたりは結婚します。
水木氏は片腕のない不自由さに愚痴をこぼさず、何事も人の手を借りようとしない、また大変仕事熱心でもあった水木氏を、布枝さんは次第に尊敬していったそうです。

長女が生まれた頃まで生活は困窮を極めましたが、1965年に別冊少年マガジン掲載された「テレビくん」で講談社児童漫画賞を受賞。
その後は「悪魔くん」「鬼太郎シリーズ」「河童の三平」など妖怪が登場する人気漫画を次々と世に出していきました。

水木氏が好んで使う言葉に「なまけものになりなさい」というものがあります。
前述の「水木しげるロード」の碑にも彫られている言葉です。
これは額面通りの言葉ではなく、「好きな道なら若い頃は怠けてはだめ。しかし努力しても期待通りの結果を出すのは難しい。だから中年を過ぎたらたまには愉快に怠けるクセをつけるべき(意訳)」というのが真意のようです。


妖怪に姿かたちを与えたひと:★★★★★
by kero-tama | 2010-08-30 07:16
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